39.アレルギー!(証人尋問その3)


近年、アレルギー持ちの方が増えています。
有名なところでは花粉症もそうですが、そば粉や卵、米などがアレルゲンという人は、日々の生活に相当用心していないとついうっかりそういうものが含まれた食品を口にして、時として命に関わることもあります。
食品だけではありません。
強い日光がダメという人もいますし、スピーカーなどからまき散らされる騒音に耐えられないという人たちも一種の現代的なアレルギーと言っていいでしょう。
中でも動物アレルギーはその代表的なものです。
アレルギーを持たない人たちは、アレルゲンを持つ人たちに配慮して生活する。
これは当然のことです。
しかし・・・・・・。

3人目の証人は再び女性でした。
部屋をリニューアルした後に部屋の清掃をしたハウスクリーニング業者です。
証人の順番は時系列に流れているようです。
歳は30代後半、40に手が届こうか、というところでしょうか。
どちらかというとやせ形で浅黒く日焼けしていますが、仕事が忙しいのか化粧の乗りが悪そうな感じの肌はあまり健康的には見えず、ギョロッとした大きめの目の下にはかなり目立つ皺が寄っています。
弁護士の尋問が進みます。
ハウスクリーニング業者というので、作業員の沢山いそうな会社をイメージしていたのですが、話を聞いていると、どうもこの女性一人が仕事を受け、自分自身で掃除にいくという、まあいわば何でも屋さんのようなことをやっているようです。
彼女は部屋について証言しました。
「部屋に一歩入ると強烈な悪臭がしました。なんというか、ものすごい、言いあらわしようのないひどい臭いで、がまんできませんでした。この商売を何年もやっていますが、こんなことは初めてでした」
そして、こう続けました。
「私は動物アレルギーなんです。近くに動物がいなくてもだめなんです。
医者にもそう言われています。
あの部屋に入って、すぐに体がおかしくなってきたんで、これは動物がいたんだとすぐにわかりました。
体中にじんましんが出てきて、ものすごく痒くなってきたんです。
気分も悪くなってきて、それにひどい臭いですから、耐えられなくなって、トイレに駆け込んで吐きました」
弁護士は同じような質問を繰り返して、その度に彼女はそう繰り返します。
そのうち弁護士がこんな訊き方をしました。
「それは大変でしたね。アレルギーだと動物の臭いはすぐにわかるんでしょう」
この瞬間、彼女は我が意を得たりとばかりに大きく頷いてこう答えたのです。
「そうです。それに私の家では犬を飼っているので臭いはすぐに・・・」
聞いていた私が「えっ」と顔を上げて彼女を見ると、彼女も自分の大失言に気づいたのでしょう、ふっと言葉を飲み込み、一瞬沈黙しました。
「いえ、近くに犬を飼っている家があるので、すぐにわかるんです・・・」
語尾は聞き取れないくらいに小さくなっています。
弁護士はこの一連の話をまるで聞かなかったかのように質問を変え、そして終了しました。

どこから切り込んでいこうかと彼女の話を聞いていた私は、はやる気持ちを抑えて頭の中でめまぐるしく尋問を組み立てゆっくりと立ち上がりました。
「まず、最初に部屋に入った時のあなたの感想ですが、」
こう切り出すと、女性も弁護士も穏やかな表情を浮かべています。
先ほどの一言を私が聞いていなかったんだと思ったのでしょうか。
「耐えられない臭いだったと言いますがね、部屋はリニューアルした後だったんですよ。そんなことがあり得ますか」
彼女は子どものように口をとがらせました。
「だって、本当にそうだったんですう。すごい臭かったんですよおっ」
「どんな臭いだったんですか」
「さっき何度も言ったでしょ。もう、いやな、なんというか耐えられない臭いだったんですっ」
「動物のような臭い、ですよね。
あなたは自分の家で犬を飼っているからそれがすぐ分かった、とさっき言いましたね」
その途端、彼女の視線は私から外れ、証言台の上あたりをさまよい始めました。
無言です。
「あなたの自宅では犬を飼っているんですね」
無言です。
「答えてくれませんか」
「はい」
「飼っているんですね」
「飼ってます」
「あなた、動物アレルギーだって言いましたよね。それも重度の。大丈夫なんですか」
この尋問でいちばん頭を使ったのはここでした。
私は知識として、いわゆる「動物アレルギー」なんていう症状は存在しなくて、それは犬アレルギーとか、猫アレルギーとか、ネズミアレルギーとか、個別に存在しているアレルギーの総称であると言うことは知っています。
しかし、大家か弁護士からかわかりませんが、法廷で堂々と嘘を言えと知恵を付けられたらしいこの女性は、そこまで調べてはいないようです。
ですから、この女性が失言するまでは、その点を突こうと考えていました。
しかし向こうから堂々と馬脚を現した今、その知識は却って足を引っ張りかねません。もし彼女にその知識があれば、「私は猫アレルギーなんです」と言い逃れることができます。
しかしその知識がない彼女は、「自分がついた嘘(それも法廷で)がばれたこと」に激しく動揺しています。
「そんなひどい動物アレルギーなら、犬なんか飼えないでしょう普通」
「庭で飼っているから大丈夫なんです」
「でもさっき、姿が見えなくてもじんましんが出るって言ってましたよね」
「それは・・・」
必死で言葉を探している様子が伝わってきます。
「犬は私が飼っているんじゃなくて子どもが飼っているからいいんです」
「いいって、良くないでしょう。そりゃ、動物アレルギーのあなたが犬を飼えるわけはないでしょうけど、ご家族はあなたのアレルギーは当然知っているんでしょう」
「・・・・・・」
「知らないんですか」
「・・・・・・」
「あのね、あなたさっき、動物がいた部屋に入っただけで吐いたって言ったんですよ。それも、動物がいたのは一ヶ月以上前で、その後リフォームまでした部屋にです。そんな重症のアレルギーの人がですね、動物と一緒に暮らしているっていうのはどういうことなんですか」
「・・・・・・」
「家で吐くことはありますか」
「ありません」
「どうしてですか」
「・・・・・・・。子どもが飼ってるから・・・・」
「また子どもですか。では子どもさんが学校に行っている間は誰が面倒見ているんですか」
「・・・・・・」
「あなた本当に、@@ビルの部屋で吐いたんですか」
「たしか、吐いたような気がします」
「気がするって、さっき何度も吐いたって証言してたじゃないですか」
「・・・・・・」
「終わります。体には気を付けて」

立ち上がろうとした彼女を裁判長が止めました。
「いくつか質問したいんですが、さっき、原告、被控訴人も訊きましたけどね、あなたが極めてひどい悪臭がしたっていう部屋ね、それは工事した後の部屋なんですよ。本当にそんな臭いがしたの」
「はい」
「それは、真新しい部屋の臭い、塗料とか、そういう臭いじゃないの」
「いや、それは、違う・・・・」
「大きな声で!」
「違うと思います」
今度は右隣の裁判官です。
「あなた動物アレルギーって言ってましたけど、何のアレルギーなんですか」
彼女は質問の意味が分からないらしく、首を傾げて答えました。
「ですから、動物アレルギーです」
「いや、動物アレルギーって言うのはね、犬アレルギーとか、猫アレルギーとか、いろいろあるでしょ。何のアレルギーなんですか」
おっと、今度は相手側に助け船を出してきたようです。
内心ひやり、としました。ところが、
「動物アレルギーなんです。動物がダメなんです。じんましんがするんです・・・・」
質問した裁判官が首を振って遮りました。
「もういいです」
かわいそうに、彼女、事前に「こう言えああ言え」と指示されたことを忠実に守ろうとしただけなのでしょう。
しかしね、何のために一度も会ったことさえない人間を公の場で罵倒し、嘘をついて陥れようとするの?
彼女に育てられている子どもたちよ、願わくば健全に育って欲しい。

(続く)