18.第一回弁論
〜おーい、大丈夫かー〜



そう言う訳で一波乱あった法廷ですが、ようやく私の番となりました。
原告、被告席双方に座って裁判官のおなーり、となるかと思いきや、いきなり和解から始めると言うことで、傍聴席にいる私のところへ、書記官さんがお年寄りをお連れになりました。
なんとなく入れ歯のサイズが合っていないようなやや口もとのだらしないおじいさんですが、「司法委員の先生」ということで、このおじいさんがとりあえず間に入って和解の道を探ると言うことです。
裁判をやっていない隣の法廷の原告席で司法委員と差し向かい。手もとの訴状などをぱらぱらと繰りながら、こちらの言い分をかいつまんでまとめて見せて私に確認します。口の端につばが貯まっているのが気になりますが、言葉使いは丁寧で非常に腰の低いおじいさんです。こういうお年寄りにご迷惑をかけちゃいけないな、と思ってしまいます。
「で、どうでしょうかね、和解と言うことは。話し合って解決した方がいいですよ、こういうことはね。あなたもわざわざ徳島から来てることですしね、ね。和解ということでいいんでしょ、ね、ね」
腰の低い割にどうあっても和解で解決したいみたいです。 「それはもちろん、こちらも話し合いで解決できればいいですよ。しかし、一切あちらが話し合いを受け付けないんですから、どうなんでしょう、無理なんじゃないですか」
私のこの返事を聞くなり、破顔一笑、
「わかりました、あちらの言い分も聞いて、条件をまとめてみましょう」
と立ち上がります。
そして私は廊下に出され、今度は大家が呼ばれます。
実はこのとき初めて大家の顔というのをすれ違いざまちらりと見たのですが、いやいやいや。
小柄でどこにでもいそうな小太りのおばさんです。しかしその表情ときたら、目をカッと見開いて小鼻が開いています。思わずびくっとしてしまいました。
廊下で煙草をふかしながら待つこと三十分。私の三倍以上の時間が経過して、ようやく私が法廷の事務員に呼ばれました。
席に座ったままの司法委員は、さっきの人のよさそうな笑顔が消えて、苦りきったような表情を浮かべています。あのおばさんに相当ガーガー言われたのでしょうか。「あのですね、あちらさんの条件を言います」
「はあ」
「あなたは請求を取り下げる」
「はあ」
「あちらは新たな請求はしない」
「はあ」
「新たな請求はしないというのはですね、あなたが裁判を起こしたので頭に来て更に請求しようと考えていたそうなんですね」
「はあ」
「そういうことです」
「・・・・・・。それって、和解ですか」
「あなたが訴訟を取り下げるだけのことですね」
「そうですよね」
「飲めませんよね、あなたとしては」
「・・・・・・。当たり前です」
「ですよね。ははは」
はははじゃないだろ、おい。
というわけで最初の調停は不成立と言うことになり、法廷が開かれることになりました。
先ほど原告と被告を怒鳴りつけた裁判官が入ってきて、私は原告席に座ります。司法委員のおじいさんは裁判官の隣です。
ところが待てど暮らせど被告の大家は現れません。
「どうなってるの」という裁判官に促されて、司法委員と裁判所の事務官が法廷の外に様子を見に行きすぐに戻ってきました。
「どうも、帰っちゃったみたいです」
「えー、帰っちゃった?どうして」
裁判官が大声を出します。
裁判官と言うのは物静かなイメージがあったのですが、どうもこの人は地声が大きいようです。
「帰っちゃったってさ、どうして。ちゃんと待つように言ってあったんでしょ」
「そうなんですが・・・・・」
可哀想に司法委員のおじいさんは今にも泣きそうなくらい小さくなっています。
おもむろに裁判官が私を振り向きました。
「ごめんね、被告、帰っちゃったんだってさ。困ったね」
困ったね、と言われても困ります。
私がよくわからない相槌を打っていると、今度は司法委員に「で、不調だったって言うことだけど」と報告を促します。あわてて司法委員が顛末をかいつまんで話し、「私は双方に説明したのですが、でもですね」と長くなりそうな言い訳モードに入ったところで、
「そりゃそうだ、そりゃ和解にならない」と裁判官が軽く話をまとめて、再び私のほうを向いて、
「じゃあ、あなたの方は審理に入ることでいいですね」と聞き、私が同意すると、
「せっかく来てもらったのに、きょうはもうどうしようもないから、次回ということにしましょう。あなたも遠いところからだし、向こうとの話し合いによってはなるだけ次回か、もう一回くらいで終われるかもしれないから、証拠関係はできるだけ次回までに出しておいてください。郵送で結構ですから。判らないことは書記官に聞いてください。次回期日は来月の@日ということにします。被告にも確認するから、変更する場合は連絡します。今日は以上」
終わっちゃった。
実を言うとですね、この第一回弁論自体、大家側の要求で一カ月延期されていたんです。
裁判くらいまじめに受けろよ。
(続く)