ブラジルから水俣へ〜水銀汚染国際会議に出席して〜

富樫 貞夫
志学館大学教授・前熊本大学教授



 この五月にブラジルのリオデジャネイロで開かれた第5回水銀汚染国際会議(正式には 「地球環境汚染物質としての水銀に関する国際会議」)に初めて出席した。二年後に開か れる次回の開催地が水俣に決定したこともあり、外から日本の水俣病研究を振り返るには よい機会になったと思う。
 ブラジルの会議には、四十カ国から四百六十五人の研究者が参加し、五百二十七に上る 研究報告が行われた。その多彩な内容から地球レベルの水銀汚染研究の現状を知ることが できる。
 現在、世界の水銀汚染研究は大きく二つの方向に向かっているようにみえる。一つは、 多様な発生源から放出される無機・有機の水銀を多角的に追跡して、地球環境に与えるリ スクを低減するための調査や研究である。大気、水(海、河川、湖沼)、土壌、廃棄物な どに含まれる水銀がすべて研究の対象になり、その中でも大気中の水銀がとくに注目され ていた。
 最近の研究ではエコロジーの視点が強調され、野生生物など生態系全体に与える水銀の 影響が問題にされているのも特徴といえよう。
 環境医学の分野では、微量汚染の問題が最大の焦点だ。毛髪中の水銀値が一〇〜一五 ppmという低レベルの水銀が胎児や小児の発育にどのような影響を与えるかが問題になっ ている。フェロー諸島の住民を対象としたグランジャンらの研究によれば、胎児期に母体 を通じて低レベルの水銀曝露を受けた子どもたちは、臨床症状はなくても言語能力や記憶 力などの点で明らかな機能低下が認められるという。
 こうした世界の研究動向と比較すると、日本の水銀汚染の研究は全体として手薄の感は 否めないが、とくにその大部分を占める水俣病研究の特異さが際立っている。これは一種 の文化的鎖国状況といってもよいだろう。
 過去四十年にわたる水俣病研究の主な担い手は医学者であった。未認定患者の認定問題 がクローズアップした一九七〇年以降は、病像論ないし診断基準が最大の焦点であり、そ れをめぐって現在も水俣病関西訴訟(控訴審)で争われている。
 水俣病の臨床・病理を対象とする医学研究は、ほとんど認定問題に終始してきた。その 意味で、これまでの水俣病医学は認定医学であったといっても過言ではない。病像論をめ ぐる議論も、結局、どの範囲までを水俣病と認めて補償の対象とするかという問題にほか ならない。
 これは、厳密な意味では科学としての医学の議論ではない。日本では、医学研究と補償 問題との境界がきわめて曖昧なのだ。
 水俣病事件は、化学工場の排水が引き金となった水銀汚染としてはこれまでまったく例 のない事件だ。その結果、不知火海沿岸に居住する約二十万の人々が多かれ少なかれ水銀 の曝露を受け、メチル水銀中毒の人体実験に供せられたも同然の事件である。
 しかし、水銀汚染の全貌を解明するための基礎調査が怠られてきたために、その実態は いぜん闇の中である。たとえば、現在、胎児性水俣病として確認されているのは 六十人前後であるが、それ以外の子どもたちが受けた影響はほとんど分かっていない。
劇症患者が多発した時期には、汚染地域で死産・流産も多発したといわれる。しかし、そ の実態も明らかにされていない。
 これまではその場限りの対策的な思考が優先し、事件の全体像がほとんど見えていな かった。事件の全貌を解明するために必要な戦略も存在しなかった。
 二年後に迫る水銀汚染国際会議までに、どれだけ水俣病研究の空白を埋め、会議で発信 するることができるか。主催国に課せられた課題はきわめて重いと思う。