ブラジル紀行
〜水銀汚染国際会議に出席して〜
富樫 貞夫
志学館大学教授・前熊本大学教授
リオデジャネイロで開かれた第5回水銀汚染国際会議(正式には「地球環境汚染物質としての水銀に関する国際会議」)に出席するため、二週間にわたってブラジルの旅をした。会議は五月二十三日から五日間の日程で行われたが、会議の後、エコツアーに参加し、ブラジル中西部に広がる大湿原まで足をのばした。この種の国際会議はもちろん、ブラジルを訪れたのも今回が初めてだ。
成田から二十五時間の空の旅は長い。昼下がりに降り立ったリオの街は、亜熱帯のぎらぎらした太陽に照らされて、汗ばむほどの暑さだった。季節は秋ごろのはずだが、観光地として有名なコパカバーナ海岸では、まだ海水浴やサーフィンに興じる人びとの姿が目立った。弓なりに湾曲した美しい海岸線の南端にホテル・ソフィテルがあり、そこが今回の会議場だった。
一九九〇年から二年ごとに開催されてきた水銀汚染国際会議は、今回で五回目を迎える が、南半球で開かれるのはもちろん初めてのことだ。一億五千万人の人口を擁するブラジ ルは、日本の二十数倍という広い国土を有し、鉄鉱石、ボーキサイド(アルミ原料)、 銅、スズ、金などのほか貴金属類にも恵まれた資源大国である。しかし、国民一人あたり の国民総生産はマレーシア並みで、日本の一割にも満たない。その意味では、典型的な途 上国の一つといえる。
環境保全よりまず開発というのが途上国に共通した傾向だが、ブラジルもその例外では ない。アマゾン流域を中心とする熱帯雨林の破壊と消失は早くから問題になっているが、 金の採掘にともなう水銀汚染の点でも見逃すことのできない地域だ。
アマゾンの水銀汚染は、パラ州を中心にアマパ、ロライマ、ロンドニア、マットグロッ ソの各州に広がっているが、なかでも深刻なのはパラ州のタバジョス川流域だ。ブラジル の水銀汚染は世界の注目を集めており、日本の研究者を含めてすでにいくつもの調査チー ムがアマゾンに入っている。アマゾンは世界の水銀汚染研究における最も重要なフィール ドの一つになっている。今回、ブラジルで水銀汚染国際会議が開かれたのも、このような背景があってのことで あろう。
アマゾン流域に水俣病と同じようなメチル水銀中毒が発生していると報道されて、一 時、日本で大きな話題になった。しかし、今回の会議では、それに関する報告はなかっ た。現地の研究者のなかには発生を肯定する人もいる。しかし、まだ調査が不十分な現 在、発生を断定できる状況にはないというのが大勢のようだ。
アマゾン流域にメチル水銀中毒が発生しているとすれば、もちろん大変なことだが、こ うした関心の持ち方自体、水俣病を経験した日本人に特徴的なもののように思われる。中 毒の有無にだけ関心が集中すると、さしあたり臨床症状がない場合には、問題がないとし てすまされてしまう恐れがあろう。
今日、水銀汚染研究のフィールドとしてアマゾンが注目されているのは、むしろ長期に わたる低レベルの水銀曝露がヒトやその他の生物に対してどのような影響を与えるかとい う観点からだ。それが今回の水銀汚染会議を支配していた問題意識である。リオデジャネイロの会議には、四〇カ国から四六五人の研究者が参加した。提出された 報告(要旨)は五二七にのぼる。参加者のほとんどは自然科学分野の人たちだ。私のよう に社会科学を専攻する者は、まったく別世界に飛び込んだという感じで、最初は大いに戸 惑った。
私は、この三〇年、水俣病問題に取り組んできたが、世界の水銀汚染研究については、 これまでほとんど無関心であったし、両者を結びつけて考えたこともなかった。今回、初 めてこの会議に参加してみて少なからぬカルチャー・ショックを受けた。
まず、研究の多彩さに驚かされた。地球環境汚染物質としての水銀は、鉱工業を主とす る人間の活動が主な発生源であるが、自然界にも無視できない発生源があり、火山活動は その一つだ。たとえば、桜島の火山活動からどのぐらいの水銀が大気中に放出されている かは、今後、重要なテーマになるだろう。
また、人間の活動としては石炭火力発電から放出される水銀も注目されている。一九六 〇年代に石炭から石油へのエネルギー革命が起きたとはいえ、地球全体でみると、まだま だ石炭への依存度は大きい。
研究や監視の対象も多様化し、大気、水(海、河川、湖沼など)、土壌、廃棄物などに 含まれる水銀がすべて対象になっている。とくに地球環境汚染との関係で、大気中の水銀 が非常に注目されている。こんどの会議では、いくつかの専門用語がキャッチフレーズのように使われていた。そ の一つは、「水銀サイクル」という言葉であり、もう一つは「生物地球化学」という用語 だ。私にはいずれも耳新しい言葉であった。
現在、多くの研究者の関心を集めているのは、大気中に放出された微量の水銀が雨など に混じって地表に降下し、土壌や河川水を汚染するという現象だ。とくに川に流れ込んだ 水銀の一部は、一定の条件下でメチル水銀に変わることが分かっている(メチル化現象 )。水俣病の原因にもなったメチル水銀の怖さは、どんなに微量でもプランクトンや魚の 体内に蓄積し、食物連鎖によって次第に高濃度のメチル水銀に濃縮される点にある。汚染 された魚を人間や野生生物が補食すると、メチル水銀中毒になる危険性があるのだ。 このように、水銀は地球環境のなかで循環し、その過程でメチル化も起きている。無 機・有機の水銀を一つのサイクルとしてとらえようとするのが「水銀サイクル」という発 想であり、それを分析する視点と方法が「生物地球化学」というわけだ。今回の会議で私が最も注目したのは、環境医学分野の報告である。この分野の研究は、 低レベルのメチル水銀曝露が胎児と子どもにどのような影響を与えるかをテーマにしたも のが目立った。日本では五〇ppm以下なら一応安全とされているが、国際的には、一〇 〜一五ppmという低レベルのメチル水銀が焦点になっている。
研究の主なフィールドは、北海のフェロー諸島(グランジャンらデンマークの研究チー ム)、インド洋のセイシェル諸島(アメリカのロチェスター大学のグループ)、それにア マゾン流域の住民である。いずれも魚を常食にしている地域で、フェロー諸島の住民ら は、いまもマッコウクジラを食べている。
フェロー諸島の調査では、低レベルのメチル水銀曝露でも子どもの発育に有害な影響が あるというのに対して、セイシェル諸島の調査では、そうしたマイナスの影響は認められ ないという。両者の調査結果はこのように対立しているが、調査手法だけではなく、調査 地の自然条件や社会的背景が異なり、住民の食べる魚もちがう。現時点で、どちらが正し いという評価はむずかしいのではないか。帰国後、グランジャン教授がフェロー諸島の調査結果をまとめた論文を送ってくれた。 胎児期に母体を通じてメチル水銀に曝露した子どもたちが七歳に達した時点でその影響を 調査したものだ。母親の毛髪と臍帯血に含まれる水銀値は、これまで安全と考えられてき たレベルのものである。臨床検査では異常は認められないものの、言語能力、注意力、記 憶力などの点で明らかな機能低下が認められるという。
私が理解した限りでは、これが最近の研究動向である。このなかで日本の水銀汚染研 究、とくに水俣病の研究がどのような位置を占めているかが問題だと思う。ブラジル会議 の間、私の念頭を離れなかったのもこの点だ。
もちろん、赤木洋勝氏(国立水俣病総合研究センター)を中心とする水銀分析法の研究 は高い評価を受け、いまや国際的なスタンダードとして定着した観がある。技術に国境は ないから、赤木法は技術移転の形で着実に広がりつつある。
深刻なのはむしろ医学研究の方だ。こんどの会議でも、水俣病の医学研究は、質量とも に影のうすい存在であった。人類史上最大の水銀汚染問題をかかえる日本の医学は、この 四十年の研究を通して国際的にどのような貢献をしてきたのか。日本独自の研究成果とし て現在でも通用しているものはいったいどれだけあるのか。認定問題に振り回されてきた 日本の医学研究と微量汚染の問題に取り組む世界の環境医学の間には、大きなギャップが ある。両者の間に接点を見出すことは困難な状況だ。会議が終了した翌日、私は朝早くホテルを出て、雨のなかリオのガレオン空港に向かっ た。会議に参加した二十人ほどの人たちと二泊三日のエコツアーに参加するためだ。途 中、ブラジリアで乗り換え、クイアバ空港に降り立ったのは正午過ぎ。外に出てみると、 真夏のような暑さだった。
ゴールドラッシュで生まれたクイアバは、マットグロッソ州の州都であるだけではな く、ブラジル中西部の交通の要衝でもある。一行の目指すアララス牧場のロッジは、ここ から二三〇キロ南下した地点にある。牧場のバスが私たちを待っていた。空港を出発した バスは、一〇〇キロ南のポコネという町まで一路南下した。ここから先は赤土の道路だ。 バスは砂塵を巻き上げながら時速一〇〇キロほどのスピードで走るから、体中に赤い微粒 子が入り込む。道路沿いの家々も、赤い砂ぼこりで染め上げられていた。
ポコネからしばらく走った後、バスは大きな金鉱山に向かった。鉱山省鉱業技術研究 センターの紹介でこの金鉱山を特別に見学させてもらった。金の採掘は一八世紀から始 まったというから、すいぶん古い鉱山だ。しかし、埋蔵量はまだ十分あるという話だ。目 の限り広がる赤茶けた丘陵がすべて鉱区で、採掘といってもパワーシャベルで露天掘りす るだけだ。それを選鉱所に運び、粉砕したあと大量の水を使って選鉱する。最後は水銀を 使ってアマルガムを作り、バーナーで水銀を蒸発せると金が得られる。金の純度を高める ため、水銀を飛ばす作業は二度行っているようだ。
時間をかけて丁寧に見学させてもらったが、鉱山の関係者から水銀汚染の話はついに出 なかった。しかし、今回の会議ではクイアバ川の水銀汚染についても報告があった。 鉱山を後にしたバスは、夕闇の迫るなかをアララス牧場に向けてひた走った。しばらく 走って手作りの木のゲートをくぐったが、そこには「ここからパンタナールが始まる」と 記してあった。パンタナールは、ボリビアとパラグアイに接する広大な湿原で、その面積は二〇万平方 キロメートルを越える。元来、パンタナールとは、年中水浸しで人が住めない場所という 意味らしい。バスが走る道は、クイアバを起点としてパンタナールを南北に貫く縦断道路 だ。一九七一年から建設が始まり、まだポルト・ジョフレまで百数十キロしか完成してい ない。あの湿原に大量の砂利を敷いて道路を作るのは大変な工事だったにちがいない。少 しでも生態系を守るためか、道路を切断していくつも水路が作られており、その上に分厚 い板を重ねて橋にしていた。橋の周りにはワニや水鳥も多い。もちろん、バスは徐行運転 しながら渡らなければならない。
アマゾンの開発は、自然破壊をともないながら一九七〇年代に本格化するが、開発に先 だってまず道路が建設された。有名なアマゾン横断道路などの建設がそれだ。パンタナー ル縦断道路も同じ時期の産物で、これに交差してさらに何本もの道路が湿原に延びてい る。
牧場といっても、放牧している牛や馬は少ない。車で一時間走っても数えるほどしか見 なかった。いまやほとんどが観光牧場と化しているようだ。亜熱帯の湿原は、人間にとっ て大変利用しにくい土地だ。それが開発を妨げ、野生生物のサンクチュアリになっている 最大の理由であろう。
アララス牧場のロッジは簡素そのもので、寝泊まりするのに最低必要なもの以外は何も ない。ハンモックを吊した平屋建ての建物は周りの風景に見事に溶け込んでいた。ここで は自然が主役である。
ここのロッジは、人も動物も朝が早い。私たちは五時に起床して、三〇分後には星明か りをたよりに湿原に向けて歩き出していた。日の出を前にして、おびただしい数の野鳥が 鳴き声をあげていた。地平線から赤い太陽がゆっくりと立ち上ると、パンタナールの広大 な景観が姿を現した。それは息をのむような瞬間だった。
土地の高低差はせいぜい二メートルもあろうか。大部分は低湿地だが、やや高い場所に は森林が形成されている。夏の間に集中的に降った雨は、三月に入ると川から溢れ出し、 湿原の大半を覆いつくす。しかし、五月からは減水期に入り、乾期のピークを迎える九月 には、あちこちの湿地が干上がって逆に水不足になる。水の季節変動はそれほど大きい。 生物にとっては大変きびしい環境だ。
パンタナールの生物相はじつに多様だ。ここには約六千種の鳥類が生息しているとい う。わずか二時間の早朝散歩で見た鳥だけでも数え切れない。そのすべてが初めて見るも のばかりだ。スウェーデンからきたラメル博士(遺伝学)は、図鑑を片手に熱心に観察し ていたが、それでも確認できた鳥の種類はそれほど多くはない。ここでは「生物の多様 性」という言葉が文字通り生きた現実になっている。
湿原を流れる川は、高低差がほとんどないため静止しているようにみえる。カヌーに分 乗してクイアバ川の支流を遡ってみたが、なかなか上下流の区別がつかなかった。蛇行し て流れる川も変化に富んでいる。石器時代を思わせる魚をはじめ動植物も豊かだ。両岸を 埋めるように水草が繁茂し、白やピンクの可憐な花をつけていた。ブラジル会議の報告に よると、このような浮草の根の部分が水銀のメチル化に関係しているという。
私たちが訪れた五月下旬は、湿原が減水期に入り、水量もほどよい時期だった。恐れて いた蚊もほとんどいなかった。その意味では、最もよい時期にパンタナールを探訪するこ とができたと思う。
エコツアーで親しくなった方々とはクイアバ空港で別れたが、口々に「水俣でまた会お う」といって手を差し出してくれた。次の水銀汚染国際会議は、二年後の二〇〇一年に水 俣で開催される。