2.水俣の海の色は
私が水俣にいた頃、いろいろな人を案内しました。
皆、とりあえず海を見たがります。
案内するほうにはこれが結構楽しみでした。
私がそうだったように、全員が全員、海原を見つめて思わずこう声を漏らすのです。
「うわあ、きれい・・だ」
もちろん彼らは観光に来た訳ではないですから、単なる賞賛のため息ではありません。
私もはじめて海を眺めたときも同じでしたから、彼らの気持ちはよくわかります。霞む天草の島々が細波一つない静かな深い海に浮かんでいます。
海の青よりもほんの少し淡い空の青は水平線の境界を見失い、遥か遠くに浮かぶ観光用の帆船が目印にならなければ広大な海原に呑み込まれそうです。
あなたが今、どんなに疲れていても、この景色を眼前にすればいくらかは気が休まることだと思います。
あなたが釣りが好きな人なら、「ここは釣れそうだぞ」と反射的に感じるくらい、自然な、自然の美しさを今も持った海です。
本来ならこの海を見てもらすため息は、純粋な賞賛の声でしょう。でもここは水俣の海です。
ま、昔のニュースフィルムで見たようなドロドロのチッソの廃水やヘドロが浮かんでいるようなことはないにしても、荒廃した、まるで息が枯れたような海がそこに広がっているはず。
皆さんそう思って、いや意識的に思わなくても、それが当然のようなイメージを抱いて水俣の海を訪れるのです。
その後私は必ずこう聞かれます。
「なんでこんなにきれいなの」元来、水俣の、不知火の海は、公害のイメージに塗り替えられるまで、その美しさと豊かさで知られていたようです。
水俣病患者の支援を続けている地元の「水俣病患者連合」が去年出版した「魚(いお)湧く海」(葦書房)は、すでに高齢化した患者(=漁師)から丹念に聞き取りを行い、それを方言もそのままになおかつ判り易くまとめた労作です。
これを読むと「水俣病」以前と以後の劇的な変化を通して、自然が人間に与える力がいかに大きいか、たとえば「地球に優しい」「自然をいたわる」なんて言葉がどんなに軽薄で噴飯ものであるのかがよくわかります。今の水俣の海からは、当時の海の姿をうかがうことはできるように思います。
JR鹿児島本線を熊本から南に下っていくと、八代を過ぎて十分ほど経った頃、列車は不知火海沿いを走ります。
八代からは単線です。
子どもの背丈ほどの低い堤防沿いに線路が延び、海岸を走っているような錯覚がするほどです。
私はこの列車におそらく百回以上は乗りました。
当然晴れの日ばかりではなく、雲が重く垂れ込めた日も、車窓を雨が打ち付けるときもありました。
しかし私は現在に至るまで、その風景に飽きたことがありません。
波と岩と雲と、そして光が毎回違う貌で立ち現れ、私は必ず手にしていた本を膝の上に閉じることになります。鹿児島本線を下る機会がおありなら、右側のボックス・シートに座ってみてください。
水俣で降りてみようかな、という気になるかもしれませんよ。