富樫教授の最終講義について



富樫教授にご執筆いただいた「水銀汚染国際会議」「南米紀行」は、みなさまから大変にご好評を頂き、「おまえの文章などよりもっと読ませろ」という実にあたたかいリクエストも頂きました。
先日熊本に戻りました折り富樫教授にお会いし、このようなわがままな、いえ、率直な希望が届いていることを先生に伝えますと、しばし思案され、それではとビールの一杯もお勧めし、結果新たな原稿を頂くことに成功しました。
それが今回の「最終講義」であります。
富樫教授は熊本大学を定年退官し、鹿児島の志学館大学に移られたことは、このシリーズ冒頭でご紹介したとおりですが、その熊本大学での最終講義の全文です。
富樫教授の最終講義は、以下に引用しますように熊本日日新聞でもニュースとして大きく取り上げられましたが、これまで残念なことに学内誌「熊本法学」退官記念号のみでしか読むことはできませんでした。
これはまさに本HPのみの特ダネ企画と言ってよいでしょう。(自慢)

熊本日日新聞より引用
1999/2/23

「『法の限界 露呈』最終講義で「水俣病」総括 富樫熊大教授」

水俣病問題に取り組み、三月末で定年退官する熊本大学の富樫貞夫・法学部教授(65)の最終講義が二十二日、熊本市黒髪の教室であった。富樫教授は三十年間の水俣病研究を振り返りながら「現代日本の法と国家」と題して講義。公害企業の過失責任について新しい法理論を構築した一次訴訟、行政責任について争点になった食品衛生法の適用(漁獲禁止)問題を例に、「水俣病事件は現代の法と法解釈の限界を次々にあぶりだしてきた」と論じた。

また「法律の根拠がなければ被害防止策はとれない」とする法治主義の考え方に対して、「本当にそれでいいのか、水俣病はその問題を提起してきた」と指摘。「私たちは国民の生命を守り、健康を増進するために国家を作っている。被害を知りながら見過ごすのであれば、国家の任務を果たしていない」と述べ、「国家とは何か」と問いかけた。

講義には学生や市民ら百人が詰めかけた。富樫教授が「専門分野だけを守っていては水俣病問題には取り組めなかった。二十一世紀の様々な問題に学問は対応できるのか」と述べて講義を締めくくると、盛大な拍手が起きた。(引用終わり)

それでは皆様、本編をお読みください。